
『古事記』のなかで、須佐之男命(すさのおのみこと)ほど”人間くさい”神様はいないかもしれません。
姉・天照大御神(あまてらすおおみかみ)を岩屋に閉じこもらせるほどの乱暴者でありながら、出雲に降り立った途端、怪物ヤマタノオロチを退治する英雄に変貌する――この極端な落差こそが、スサノオという神の最大の魅力です。
しかしこの物語、単なる空想の産物ではありません。1984年に島根県で発見された荒神谷遺跡から、なんと358本もの銅剣が一括で出土しました。当時、日本全国で確認されていた銅剣の総数を、この一遺跡だけで上回る数だったといいます。この発見が、それまで「神話の中だけの存在」とされていた古代出雲の実像を、大きく塗り替えることになりました。
ヤマタノオロチの正体については、治水事業の記憶とする説、たたら製鉄の神格化とする説、在地勢力の平定を象徴するという説など、複数の学説が今も並び立っています。さらに『日本書紀』には、スサノオが実は新羅を経由して出雲に渡ってきたという、『古事記』にはない異伝も記されています。
物語を追う――高天原の乱暴者が、出雲で英雄になるまで
『古事記』のスサノオは、最初から英雄として登場するわけではありません。亡き母・伊邪那美命のいる根の堅州国に行きたいと泣き続けたために、父・伊邪那岐命から追われます。別れを告げに高天原へ昇り、姉の天照大御神との誓約(うけい)に「勝った」と言い立てたのをきっかけに、乱暴を重ねていきます。田の畦を壊し、溝を埋め、神殿を汚し、ついには皮を剥いだ馬を機織りの御殿に投げ込んで、機を織っていた女性を死なせてしまうのです。
これを恐れた天照大御神は天の岩屋に隠れ、世界は闇に包まれます。八百万の神々は岩屋戸の前で祭りを行って天照を呼び戻し、スサノオには罪をあがなうための品を課したうえで、髭と手足の爪を切って高天原から追放しました。ここまでが「暴れ者」としてのスサノオです。
追放されたスサノオが降り立つのが、出雲の肥の河(現在の斐伊川)の上流です。川上から箸が流れてくるのを見て人の住まいを探すと、老夫婦の足名椎・手名椎が、娘の櫛名田比売を囲んで泣いていました。八つの頭と八つの尾をもつ八俣遠呂智が毎年やってきて娘を食べ、最後の一人も食べられようとしていたのです。
スサノオは櫛名田比売を妻にもらう約束をして、娘を櫛の姿に変えて髪に挿し、八つの桶に強い酒を用意させます。酒に酔って眠った大蛇を斬ると、尾から一振りの太刀が出てきました。これが後に三種の神器の一つとされる草那芸の大刀(草薙剣)で、スサノオはこれを天照大御神に献上します。その後、須賀の地に宮を建て、「八雲立つ 出雲八重垣――」と歌ったと伝えられています。
同じ神が、高天原では秩序を乱す存在として、出雲では人々を救う存在として描かれています。この落差が、スサノオ神話の最大の読みどころです。
出雲に残された「物証」――荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡
荒神谷遺跡は島根県出雲市斐川町にあり、1984年の調査で銅剣358本が整然と並べて埋められた状態で見つかりました。翌1985年には、近くから銅矛16本と銅鐸6個も出土しています。さらに1996年には、同じ出雲地方の雲南市にある加茂岩倉遺跡で、一か所としては国内最多となる銅鐸39個が見つかりました。
青銅器がこれほど大量に、まとめて埋められた背景には、出雲に強い祭祀の中心があったとする見方があります。ただし、これらの青銅器が『古事記』や『出雲国風土記』の記述とどう結びつくのかは、はっきりしていません。「神話が史実だった証拠」と言い切れるものではなく、「神話が生まれる土壌となった地域の力を示す手がかり」として受け止めるのが、慎重な読み方だと考えます。
ヤマタノオロチの正体をめぐる三つの見方
八つの頭と八つの尾をもつ大蛇は、いったい何を表していたのでしょうか。古くから多くの解釈があり、いまも一つには決まっていません。代表的な見方を三つ紹介します。
見方A:川の氾濫の記憶とする説
舞台となる肥の河(ひのかわ)は、現在の斐伊川(ひいかわ)にあたるとされます。この川は古くから洪水の多い川として知られ、流れが何本もの支流に分かれる姿は、八つの頭をもつ大蛇を思わせます。毎年やってきて娘を一人ずつ食べるという筋は、毎年のように繰り返された洪水と、その犠牲になった人々の記憶を重ねたものだという見方です。
この説では、スサノオによる大蛇退治は、堤を築き水を治めた人々の営みを、神話の言葉で語り直したものと考えます。『古事記』の記述に「その目は赤かがちのごとく」とあるのも、増水した濁流の色に通じると読む人がいます。
見方B:たたら製鉄を神格化したとする説
斐伊川の上流域は、砂鉄が採れる地域として知られ、のちの時代には「たたら製鉄」が盛んになりました。大蛇の尾から剣が出てくる場面は、鉄づくりと結びつけて読まれることがあります。炉の中で赤く燃える炎や、砂鉄をとるために山を削り川を濁らせる様子を大蛇に重ねたのではないか、という見方です。
ただし、神話が語られた時代に、この地域でどこまで鉄の生産が進んでいたのかについては、慎重な意見もあります。製鉄の技術が広まった時代の知識を、後から物語に読み込んだ可能性も指摘されています。
見方C:在地の勢力を平定した記憶とする説
『古事記』では、この大蛇を「高志(こし)の八俣遠呂智」と呼んでいます。高志は、北陸方面(越の国)を指す古い地名です。この点から、北方の勢力が出雲に侵入したことや、地元の有力者を征服したことを、大蛇退治の物語に託したのではないか、という見方があります。八つの頭や尾は、複数の小さな集団を象徴するとも読めます。
この場合、娘を差し出して従うほかなかった足名椎(あしなづち)・手名椎(てなづち)の一家は、在地の人々の姿ということになります。
『日本書紀』が伝える、もうひとつのスサノオ
『古事記』では、スサノオは高天原を追放されると、そのまま出雲へ降りて大蛇を退治します。ところが『日本書紀』には、これとは少し違う筋の伝承が「一書(いっしょ)」として並べて載せられています。
そのひとつでは、スサノオは子の五十猛神(いたけるのかみ)を連れて、いったん新羅(しらぎ)の曽尸茂梨(そしもり)という地に降りたとされます。ところが「この地には居たくない」と言って、土をこねて舟を作り、それに乗って海を渡り、出雲の簸川上にある鳥上(とりかみ)の峰に着いた、と語られます。そこで人を呑む大蛇に出会う、という展開です。
また『日本書紀』は、大蛇の尾から出てきた剣について、大蛇のいる場所の上にいつも雲気が立ちこめていたことから、「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」と呼ばれた、という説明も伝えています。『古事記』にはない、名前の由来を語る異伝です。
スサノオが新羅を経て出雲に来たという筋は、出雲が朝鮮半島と深い関わりをもつ土地として意識されていたことの反映だと読まれることがあります。ここから、先に紹介した「たたら製鉄」の見方と結びつけ、渡来の技術が出雲に鉄の文化をもたらした記憶を読み取ろうとする人もいます。ただし、これは神話に描かれた話であり、スサノオが実在した渡来人だったと言い切れるものではありません。
同じ神でも、『古事記』は一本の筋に整え、『日本書紀』は複数の伝承を並べて残しました。どちらが古い形なのかも、一つには決まっていません。
世界の神話にも似た話がある
「怪物に生贄として捧げられる娘を、英雄が救う」という筋は、日本だけのものではありません。ギリシア神話のペルセウスが、海の怪物に捧げられたアンドロメダを救う話はよく知られています。竜に捧げられる王女を騎士が救うヨーロッパの聖ゲオルギウス伝説も、同じ型に分類されます。
こうした共通点から、ヤマタノオロチの話を、人類が各地で語り継いできた「怪物退治」の物語の一つとして見る立場もあります。この場合、大蛇の正体が洪水なのか鉄なのかを探るより、「なぜ人々は、恐ろしい自然や勢力を怪物の姿で語ったのか」という問いが前面に出てきます。
どの見方が正しいのか
三つの見方は、必ずしも互いに排除しあうものではありません。川の氾濫の記憶も、鉄づくりの記憶も、在地勢力との関係も、長い年月のなかで一つの物語に重なっていった、と考えることもできます。ひとつの答えに決められないからこそ、この神話は時代を超えて読み継がれてきたのでしょう。
『古事記』は出雲をどう扱ったか
『古事記』上巻では、スサノオの出雲での活躍に続いて、子孫の大国主神の物語、そして国譲りまで、出雲を舞台にした話が長く続きます。神話の中で、出雲が大きな存在感をもって描かれていることがわかります。
一方、『日本書紀』は同じ場面を本文と多くの「一書」に分けて、異なる伝承を並べて記しており、スサノオの描かれ方も一様ではありません。同じ神でも、どの書物を読むかで印象が変わる点も、この神話の面白さです。
暴れ神は、なぜ英雄になったのか。そして出雲という”もうひとつの大国”は、本当に大和に滅ぼされたのか――。
noteの連載では、これらに加えて、出雲大社のしめ縄の向きが全国と逆である理由や、天皇家とスサノオの意外な系譜のつながりまで、さらに詳しく読み解いています。
▶ さらに詳しい考証はnoteで https://note.com/fast_spirea1280/n/ncd9b840b36aa
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