
前回の記事では、仁徳天皇(にんとくてんのう)の皇后・石之日売命(いわのひめのみこと)が、天皇の度重なる浮気に激しく嫉妬し、ついには宮を飛び出して大和(やまと)へ帰ってしまうという、古事記屈指の「嫉妬物語」を紹介しました。石之日売命という一人の女性の激しい感情が、天皇という最高権力者すら振り回すというこの逸話は、古事記が単なる政治の記録ではなく、人間くさい感情のドラマでもあることをよく示していました。
そして前回の末尾で予告した通り、石之日売命が宮を去った後も、仁徳天皇をめぐる宮廷の物語は続きます。今回取り上げるのは、天皇の異母弟である速総別王(はやぶさわけのみこ)と、天皇自身が心を寄せていた女鳥王(めどりのみこ)との、道ならぬ恋と、それが引き起こす反逆の悲劇です。恋愛感情のもつれが、やがて軍勢を動かすほどの政治的事件へと発展していく――そんな古事記らしいスケールの物語を、じっくり見ていきましょう。
前回の石之日売命の逸話が、天皇の身勝手な振る舞いに対して一人の女性が正面から怒りをぶつける物語だったとすれば、今回の物語はやや趣が異なります。ここで問われるのは、天皇の意向にすら従わず、自らの心の赴くままに相手を選び取ろうとした、若い王と王女の生き方です。二人がどのような結末を迎えるのか、そしてその結末が古事記全体の中でどのような意味を持つのかを、原典の流れに沿って見ていきたいと思います。
物語
仁徳天皇には、女鳥王(めどりのみこ)という異母妹がいました。天皇は彼女を妃に迎えたいと考え、自らの異母弟にあたる速総別王(はやぶさわけのみこ)を使者に立てて、求婚の意を伝えさせます。天皇が自ら出向かず、身内の若い王を仲立ちに使うというのは、当時の婚姻の作法としてはさほど珍しいことではありませんでした。
ところが、使者として女鳥王のもとを訪れた速総別王は、思いがけない返事を持ち帰ることになります。女鳥王は、兄である仁徳天皇からの求婚をきっぱりと断り、代わりにこう告げたのです。「大后(おおきさき)である石之日売命があれほど嫉妬に苦しんでいる姿を見ていますから、私は天皇のもとへは参りません。それより、あなた自身の妻にしていただきたい」。女鳥王は、求婚の使いに来た速総別王その人に心を移してしまったのでした。
この申し出を受けた速総別王もまた、女鳥王への思いを抑えることができませんでした。二人は結ばれ、天皇の意向に背いて夫婦となります。天皇の使者でありながら、天皇の望む相手を自分のものにしてしまう――これは単なる恋の話では済まされない、王権に対する重大な裏切りでした。当時の婚姻は個人の感情だけの問題ではなく、誰が誰と結びつくかによって一族の力関係が左右される、極めて重い政治的行為でもありました。だからこそ、使者という立場にあった速総別王の行動は、天皇個人への裏切りであると同時に、宮廷全体の秩序を揺るがしかねない出来事だったのです。
二人が夫婦として過ごした日々がどれほど続いたのかは、古事記には詳しく記されていません。しかしその静かな時間は長くは続きませんでした。ある日、女鳥王は機織りをしながら、着物の緒(お)を結ぶ仕事をしていました。そこへ天皇が訪れ、その様子を見て歌を詠みかけます。すると女鳥王は臆することなく、こう歌い返しました。「高い山に張られた鷹(たか)の網も、心の広い私の夫である速総別王には、とても及びません」という趣旨の歌で、暗に天皇の求婚を退けたことをほのめかす、大胆不敵な返歌でした。この歌によって、二人の密通は天皇の知るところとなります。
たった一首の歌が、それまで密かに保たれていた二人の秘密を、あっという間に宮廷中の知るところとしてしまったのです。面目を潰された仁徳天皇は激怒し、速総別王を討伐するよう命じます。追討の軍が差し向けられると知った速総別王と女鳥王は、二人で倉椅山(くらはしやま)へと逃げ込みました。険しい山道を越えようとする速総別王は、「梯子(はしご)のように険しい倉椅山を、愛しいあなたと手を取り合って越えていくならば、この険しい山道もまるで平らな道のように感じられる」という意味の歌を詠み、女鳥王への変わらぬ愛情を示します。しかし逃避行もむなしく、追手はついに二人に追いつき、宇陀(うだ)の蘇邇(そに)というところで、速総別王と女鳥王はともに討ち取られてしまいました。
王への反逆という大罪を犯した二人でしたが、古事記は彼らを一方的な悪人としては描いていません。むしろ、身分違いの恋に殉じ、最後まで互いを想い合いながら山を越えていく姿を、哀切をもって歌に刻んでいます。権力者である天皇の意向よりも、自分自身の心に従うことを選んだ二人の末路は、読む者の胸に複雑な余韻を残します。逃避行の最中に交わされた歌の数々は、単なる状況説明ではなく、追い詰められてなお相手を想う気持ちを丁寧にすくい取っており、古事記の編者がこの悲劇にどれほど深い共感を寄せていたかがうかがえます。
実際には
この速総別王と女鳥王の物語は、一見するとただの恋愛悲劇のようですが、歴史学・考古学・比較神話学の目で見ていくと、いくつもの読み解き方が浮かび上がってきます。ここでも、唯一絶対の「正解」を決めつけるのではなく、複数の学説を並べて考えてみましょう。
学説A 王位継承をめぐる政治闘争の反映とする見方
まず有力なのが、この物語を仁徳天皇をめぐる王族内部の権力争いの記憶が反映されたものと見る解釈です。仁徳天皇の周辺には、異母兄弟・異母姉妹が数多くおり、婚姻関係は単なる恋愛ではなく、誰が天皇の血族として力を持つかという政治的な意味合いを強く帯びていました。女鳥王を妃に迎えようとした仁徳天皇の意図の裏には、有力な血筋を自らの陣営に取り込みたいという思惑があった可能性があります。そこに割って入り、しかも武力による討伐にまで発展したという展開は、単なる痴話喧嘩ではなく、王位継承をめぐる勢力争いの一幕が、恋物語という形に置き換えられて語り継がれたのではないか、という見方です。こうした仁徳朝周辺の説話群は、皇位継承をめぐる緊張関係を色濃く反映していると指摘する研究者もおり、速総別王の反逆も、その系譜の一つとして理解することができます。仁徳天皇の後を継ぐ皇子たちの間でも、後にたびたび激しい争いが起きることを踏まえると、女鳥王をめぐる一件は、そうした一族内の対立が早くも仁徳天皇の時代から芽生えていたことを暗示する挿話として読むこともできるでしょう。誰と誰が結びつき、誰が排除されるのかという緊張感は、この時代の王族社会に通底する空気だったのかもしれません。
学説B 恋愛悲劇としての文学的完成度を重視する見方
一方で、この話を過度に政治的な事件として読み解くことに慎重な立場もあります。古事記の物語には、史実の記録という以上に、歌謡や語りを通じて人々の心を動かすための文学的な工夫が凝らされているとしばしば指摘されます。倉椅山を越える速総別王の歌に見られる、険しい山道を「平らな道」のように感じるという表現は、実際の地形の険しさを述べたものというより、愛する者と共にあることの喜びを詩的に誇張した、恋愛叙事詩としての完成度の高い表現だと捉えることができます。この立場に立てば、女鳥王と速総別王の物語は、政治的事件そのものというより、悲恋というモチーフを味わうために語り継がれてきた、一種の恋愛文学として読むべきだということになります。実際、古事記には政治的な意味づけだけでは説明しきれないほど、二人の心情に寄り添った歌が丁寧に配置されており、当時の語り手や聞き手が、この物語をまず何よりも「切ない恋の顛末」として味わっていた可能性は十分に考えられます。
学説C 王権への抵抗という主題を読み取る見方
さらに別の角度からは、この物語に「王権の意のままにならない人間の意志」という普遍的なテーマを見出す解釈もあります。女鳥王は、天皇からの求婚を明確な言葉で拒絶し、自らの意志で伴侶を選び取りました。当時の王権にとって、婚姻は支配秩序を維持するための重要な手段でしたから、それを拒む女鳥王の態度は、王の権威そのものへの挑戦でもあったといえます。古代の王権神話では、王の意向に逆らう人物が悲劇的な最期を迎えるという型が広く見られるとされ、速総別王と女鳥王の物語も、絶対的に見える王権に対して個人の意志がどこまで抗いうるかという、時代を超えた主題を内包していると考えることができます。近代以降の文献批判が記紀説話の史実性に厳しい目を向けてきたように、この物語をそのまま歴史的事実の記録として受け取ることには慎重であるべきですが、たとえ史実そのものでなかったとしても、王権に対する個人の抵抗という主題が、なぜこの時代の説話としてわざわざ語り継がれたのかを考えることには、大きな意味があるはずです。
世界の神話との比較――禁じられた愛の物語
身分や立場を超えた禁じられた愛が悲劇的な結末を迎えるという構図は、古事記だけのものではなく、世界各地の神話や伝承に広く見られる普遍的なモチーフです。たとえばギリシア神話では、トロイア戦争の発端となったパリスとヘレネの恋も、既存の秩序を踏み越えた愛が大きな争いと破滅を招くという点で、速総別王と女鳥王の物語と重なるところがあります。王や神といった強大な権力者の意向に背いてまで自らの想いを貫こうとする人間(あるいは神)の姿は、洋の東西を問わず、人々の心を強く惹きつけてきたのでしょう。旧約聖書に描かれるダビデ王とバト・シェバをめぐる逸話でも、権力者の欲望が周囲の人間関係を大きく揺さぶり、最終的に悲劇的な結末を招くという構図が見られ、権力と恋愛と裏切りが絡み合う物語の型は、古代地中海世界にも共通して存在していたことがわかります。女鳥王と速総別王の物語もまた、日本列島に固有の出来事であると同時に、こうした人類共通の「禁じられた愛」の神話群の一つとして位置づけることができるのです。
これらの学説のどれか一つだけが正しいと決めることは、実はできません。政治闘争の記憶としての側面も、恋愛文学としての完成度も、王権への抵抗という普遍的テーマも、おそらくはすべてがこの一つの物語の中に重なり合って存在しているのでしょう。古事記の語りには重層性があるとしばしば指摘されるように、一つの説話は単一の意味だけに還元できるものではなく、読む時代や立場によって異なる相貌を見せるものです。速総別王と女鳥王の悲劇についても、答えは一つに決まらない、というのが誠実な結論だといえるでしょう。政治の力学として読むか、恋愛文学として味わうか、あるいは王権に抗う個人の姿として受け止めるか――どの読み方を選ぶかによって、この短い物語はまったく違う顔を見せてくれます。そうした多義性こそが、千年以上の時を超えて古事記が読み継がれてきた理由の一つなのかもしれません。
おわりに――次回予告
速総別王と女鳥王の悲恋が終わりを迎えたのち、古事記の物語は仁徳天皇自身の晩年、そしてその後継をめぐる新たな緊張へと移っていきます。次回は、仁徳天皇の崩御ののち、その皇子たちの間で巻き起こる激しい後継争い――墨江中王(すみのえのなかつみこ)の反乱と、それに立ち向かう水歯別命(みずはわけのみこと)の物語を取り上げます。速総別王と女鳥王の悲劇が、恋と裏切りをめぐる個人的な物語だったとすれば、次回の物語はまさに王位そのものをめぐる、身内同士の血なまぐさい争いです。仁徳天皇という一人の王のもとに集まった多くの皇子・皇女たちが、その死後にどのような運命をたどっていくのか。古事記が描く王権継承の厳しい現実を、次回もじっくり見ていきたいと思います。
あわせて読みたい
この記事のより詳しい考証パートは、note連載「古事記、深掘り。」でもお楽しみいただけます。
▶ この回のnote本編はこちら:古事記、深掘り。(note)
参考文献
- 三浦佑之『口語訳 古事記――人代篇』(文春文庫、文藝春秋、2006年12月)
- 西宮一民 校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 古事記』(新潮社、2014年10月)
※学説の紹介は、各分野の研究の見方を筆者がまとめたものです。正確を期していますが、誤りに気づかれた場合はお問い合わせページからお知らせください。
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