
前回のおさらいから――「質素な帝」の、もうひとつの顔
前回は、「民のかまど」の逸話で知られる仁徳天皇(にんとくてんのう)を取り上げました。高台から国を見渡し、民家から炊事の煙が立っていないことに気づいた天皇が、「国はみな貧しいのだ」と悟って三年間すべての税と労役を免除した――そんな聖帝としての姿と、その裏に隠された治水事業の記憶、そして質素な暮らしぶりとは裏腹に世界最大級ともいわれる巨大な陵に葬られているという矛盾について考証しました。
しかし『古事記』が仁徳天皇について語っているのは、こうした善政の物語だけではありません。むしろ『古事記』の仁徳天皇の段でもっとも紙幅が割かれているのは、皇后の激しい嫉妬と、宮廷を揺るがした夫婦のもつれた物語です。「民のかまど」で名君として描かれた同じ天皇が、家庭においては妻の心をまったくつかめずにいた――そのギャップこそ、今回じっくり見ていきたいテーマです。政治の場では誰もが認める名君でありながら、たった一人の女性の心を最後までつなぎとめられなかった帝の姿は、神話でありながら、どこか生々しい人間くささをたたえています。国家の統治という大きな物語と、夫婦という小さな物語が、同じ人物のなかで同時に進行していたという事実は、古代の王権というものが、決して政治や制度だけで動いていたわけではないことを、私たちに教えてくれます。
物語――皇后、宮を出る
仁徳天皇の皇后は、石之日売命(いわのひめのみこと)といいました。父は葛城(かづらき)の地に大きな勢力を持つ豪族の長、葛城之曾都毘古(かづらきのそつびこ)です。皇后は生まれながらにして力ある一族の娘であり、その気位の高さは並々ならぬものでした。『古事記』は、この皇后についてはっきりとこう記しています。「いたく嫉妬(うわなりねたみ)したまいき」――たいへん嫉妬深い人であった、と。皇后は、天皇が他の女性に少しでも心を寄せることを固く戒め、宮中に新しい女性が入ることを決して許しませんでした。天皇はそれを恐れてか、長いあいだ他の女性と関わることを控えていたともいわれます。
ところがある時、天皇は異母兄弟にあたる先の天皇の娘、八田若郎女(やたのわきいらつめ)を難波(なにわ)の宮に呼び寄せ、深く心を通わせるようになります。この動きを、皇后はすぐには知りませんでした。ちょうどそのころ、皇后は紀伊国(きいのくに)へ舟で出かけ、御綱柏(みつながしわ)という、酒宴で酒器として用いる神聖な木の葉を摘みに出ていたからです。皇后が海路をゆっくりと旅するあいだに、宮では静かに、しかし決定的な出来事が進行していたのです。
難波へ舟で戻る途中、皇后は従者から、宮中に新しい女性――八田若郎女が入っていることを聞かされます。皇后の怒りと悲しみは尋常ではありませんでした。せっかく摘んできた御綱柏を、一枚残らず海に投げ捨ててしまうのです。長い船旅の労苦も、これから宮で酒宴を開こうという楽しみも、すべてがその瞬間に無意味なものへと変わってしまいました。そして皇后は、そのまま難波の宮には戻らず、舟の舳先を川上へと向け、山城(やましろ)の地を経て、実家のある葛城へと帰ってしまいます。
天皇は驚き、幾人もの舎人(とねり)や使者を送って皇后を連れ戻そうとします。使者の一人、口日売(くちひめ)という女性が皇后のもとを訪れ、天皇の心情を歌に託して伝えますが、皇后の怒りは解けません。皇后自身も歌を返し、「あなたのような、心変わりをする方とは、もう二度と杯を交わすことはありますまい」という趣旨の、痛烈な拒絶の歌を詠みます。歌には、かつて共に過ごした日々への未練と、それでも決して許さないという固い意志の両方がにじんでおり、単なる怒りの表明にとどまらない、深く屈折した感情が刻まれています。
天皇みずからも山城まで追いかけ、直接説得を試みますが、それでも皇后は首を縦に振りません。天皇が「山城の一本菅(ひともとすげ)のように、たとえ独り身であっても、お前を妻にしよう」と歌いかけても、皇后の心は動きませんでした。使者たちが何度も行き来するうちに、二人のあいだで交わされた歌は幾つも『古事記』のなかに書き留められており、そこには怒りだけでなく、かつての睦まじさを懐かしむ気持ちや、それでも譲れない誇りといった、複雑に入り組んだ感情が織り込まれています。単純な「勝ち負け」では割り切れない、長い年月をともに過ごした夫婦だからこその、痛みを伴うやり取りだったことがうかがえます。
ついに皇后は大和(やまと)へ戻ることなく、山城の筒木(つつき)の地で長い年月を過ごし、そこで生涯を終えたと『古事記』は伝えています。皇后が亡くなったのち、天皇はあらためて八田若郎女を新しい皇后として迎え入れました。長きにわたって天皇に寄り添い、後継となる子どもたちをもうけた石之日売命が、最後は大和の宮に戻ることなく、実家に近い土地でひっそりと生涯を終えたという結末は、勝者も敗者もいない、ただ深いわだかまりだけが残された結末として、読む者の胸に重く残ります。
聖帝として税を免除し、屋根の雨漏りにも耐えた仁徳天皇が、家庭においては最愛の妻をついに取り戻せなかった――『古事記』はこの落差を、一切の弁明も添えずに、ただ淡々と語り伝えているのです。善政の物語と、この嫉妬の物語とが、同じ「仁徳天皇の段」のなかに並べて置かれていること自体、編纂者たちがこの帝の人物像をどう捉えていたかを示す、興味深い手がかりだといえるでしょう。
実際には――皇后の嫉妬は、何を語っているのか
この「嫉妬する皇后」の物語を、私たちはどう読めばよいのでしょうか。単なる後宮のいざこざ、あるいは天皇の女性関係にまつわるゴシップとして片づけてしまうこともできます。しかし研究者たちは、この物語の背後にいくつもの層を読み取ろうとしてきました。ここでは代表的な三つの見方を紹介します。
学説A――宮廷に伝わる「歌物語」としての潤色
記紀に収められた物語の多くは、宮廷に仕えた語り部(かたりべ)たちが伝承してきた歌謡や語りを核として、後に文学的に構成されたものだとする見方があります。この立場からすれば、皇后と天皇のあいだで交わされる歌の応酬――怒りの歌、なだめの歌、拒絶の歌――こそがこの物語の本体であり、史実としての事件があったかどうかよりも、「歌物語」としての完成度そのものに意味がある、ということになります。皇后の嫉妬という筋立ては、当時の妻問い婚(つまどいこん)や、複数の妻を持つ後宮制度のもとで生まれる緊張を、歌のやり取りという形式に落とし込んだ、いわば文学的な型だったのかもしれません。物語の随所に挿入される歌そのものが、宮廷で長く愛唱されてきた独立した歌謡であり、それらを結びつけるための説明として、嫉妬と出奔という筋立てが後から与えられた、という見方も成り立ちます。この見方に立てば、私たちが「事件」として読んでいる嫉妬と出奔の顛末は、もともと別々に歌い継がれてきた恋の歌、恨みの歌を、後の編纂者が一つの筋の通った物語へとつなぎ合わせる過程で生まれた、いわば「あと付けの脚本」だったことになります。歌そのものの美しさや切実さに比べて、物語としての整合性がどこかぎこちない部分が残っているのも、そうした成立過程を考えれば納得がいくところです。
学説B――葛城氏との政治的緊張の反映
一方、この物語をもっと生々しい政治史として読み解く立場もあります。皇后・石之日売命の実家である葛城氏は、応神(おうじん)・仁徳の時代にきわめて強い勢力を誇った豪族でした。皇后が難波の宮を出て実家の葛城に帰ってしまうという行動は、単なる痴話喧嘩ではなく、天皇家に対して外戚(がいせき)である葛城氏が強い発言力を持っていたことの表れではないか、というのです。実際、奈良盆地南部の葛城地域には、この時代に築かれたとみられる有力な古墳群が集中しており、考古学の研究も、この地域における葛城氏の強大さを裏づける材料として、しばしば参照されます。皇后が最後まで宮に戻らなかったという結末は、天皇個人の恋愛感情の問題を超えて、有力豪族の意向を無視できなかった王権の実情を映しているのかもしれません。天皇がみずから山城まで出向いてまで説得を試みたという描写も、単なる夫婦げんかにしては、あまりに大がかりな対応です。そこに、皇后個人というより、皇后を通じて発言力を保とうとする葛城氏全体への配慮を読み取る研究者も少なくありません。
学説C――物語を語り直す視点
近年の記紀研究では、この物語を「嫉妬深い女」を戒める教訓譚として読むのではなく、当時の女性が置かれた立場のなかで、いかに自分の意志を最後まで貫いたかを描いた、稀有な物語として読み直す視点も提示されています。皇后は天皇の求めにも、幾度もの使者の説得にも屈せず、生涯宮には戻りませんでした。これを弱さや感情の暴走としてではなく、皇后自身の誇りと意志の強さの表れとして読むならば、この物語はむしろ、古代の女性が置かれた不自由な立場のなかで、なお自らの尊厳を守り抜こうとした姿を伝えるものとして、光を当て直すことができるかもしれません。天皇という、当時もっとも大きな力を持つ存在の求めを、最後まで撥ねつけ続けた女性がいた、という一点だけでも、この物語が単純な悪妻譚として片づけられないことを物語っています。
世界の神話に見る「嫉妬する妻」たち
夫の心変わりに激しく嫉妬する妻という主題は、日本の神話だけのものではありません。たとえばギリシア神話では、最高神ゼウスの妻であるヘラが、夫の浮気相手やその子どもたちに対して、時に命を奪うほどの苛烈な制裁を加える逸話が数多く語られます。神々の王の正妻でありながら、夫の愛を独占できない苦しみと怒りを体現する存在として描かれる点は、石之日売命の姿と重なって見えます。妻の嫉妬という普遍的な感情を通して、王権や家長制のもとに置かれた女性の葛藤を語るという構図は、洋の東西を問わず、神話が繰り返し取り上げてきた重要な型の一つだったといえるでしょう。ヘラの物語では嫉妬の矛先が第三者へと向けられるのに対し、石之日売命の物語では、怒りの矛先が最後まで天皇自身、そして自らの生き方へと向けられ続けている点に、日本的な語りの独自性を見ることもできます。旧約聖書の創世記に登場するサラとハガルの確執も、しばしば引き合いに出される例です。アブラハムの正妻サラは、女奴隷ハガルが夫の子を身ごもったことに激しく苦しみ、最終的にハガルとその子を家から追い出してしまいます。ここでも、一人の男性をめぐる二人の女性の緊張関係が、一族の行く末を左右する重大な出来事として、聖典のなかに正面から書き記されている点が印象的です。石之日売命の物語もまた、単なる私的な感情のもつれとしてではなく、王統の継承という公的な出来事の一部として、あえて記録され続けてきたのだといえるでしょう。
宮廷の歌物語としての洗練なのか、豪族の政治力学の反映なのか、それとも一人の女性の誇り高い意志の物語なのか――答えは一つに決まりません。むしろこの三つの見方は互いに矛盾するものではなく、一つの物語のなかに幾重にも折り重なっているのだと考えるほうが、実情に近いのかもしれません。神話を「正解」を求めて読み解こうとするとき、私たちはしばしば、その豊かな多義性そのものを見失ってしまいます。石之日売命の物語は、そうした読みの複数性を私たちに突きつけてくる、格好の題材だといえるでしょう。
おわりに――次回予告
皇后・石之日売命が宮を去った後も、仁徳天皇をめぐる宮廷の物語は続きます。次回は、天皇の異母弟である速総別王(はやぶさわけのみこ)と、天皇が心を寄せた女鳥王(めどりのみこ)との、道ならぬ恋と反逆の悲劇を取り上げます。求婚の使いに立てられたはずの弟が、なぜ天皇に背いてまで女鳥王と結ばれることを選んだのか。そして二人を待ち受けていた運命とは――『古事記』が伝える、もう一つの愛と悲劇の物語にご期待ください。
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参考文献
- 三浦佑之『口語訳 古事記――人代篇』(文春文庫、文藝春秋、2006年12月)
- 西宮一民 校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 古事記』(新潮社、2014年10月)
※学説の紹介は、各分野の研究の見方を筆者がまとめたものです。正確を期していますが、誤りに気づかれた場合はお問い合わせページからお知らせください。
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