前回の記事では、葛城山(かつらぎやま)で雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)が自らと瓜二つの一行と出会い、その正体が「一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)」であったという、古事記の中でも屈指の神秘的な場面を読み解きました。神と正面から向き合い、刀や衣服を献上して深々と頭を垂れる天皇の姿は、暴君・悪逆天皇と称されることの多い雄略天皇の、また違った一面を私たちに見せてくれました。畏れを知り、神威の前では従順にもなれる帝王。しかしその同じ雄略天皇は、今回は「神」ではなく、ひとりの「人」の前で、まったく別の顔を見せることになります。
今回たどるのは、雄略天皇のもとに、八十年という気の遠くなるような歳月を経てある女性がやってくるという、古事記の恋物語の中でも屈指の切なさをたたえたエピソードです。若き日にかわされた、たった一言の約束が、一人の人生をどれほど大きく縛りつけてしまうのか。神話でありながら、驚くほど人間くさい物語を見ていきましょう。
雄略天皇といえば、気に入らない者を次々と粛清したという逸話も多く残る、古事記随一の恐ろしい帝王として知られています。しかしその同じ人物が、若き日の軽い気持ちからかけた一言を、当の本人はすっかり忘れてしまっていた――という、なんとも人間くさい失態を演じてしまうのも、この雄略天皇という人物の面白さです。絶対的な権力を持ちながら、記憶や約束という点では、私たちと何も変わらない一人の人間に過ぎない。そんな雄略天皇の等身大の姿が垣間見えるところに、この物語の魅力があります。
物語
雄略天皇がまだ独り歩きを好み、供もわずかに随行するだけで各地を巡り歩いていた頃のことです。ある日、天皇は三輪川(みわがわ)のほとりに差しかかりました。川辺では一人の娘が衣を洗っています。透き通るように白い肌、清らかな顔立ちの娘に、天皇はすっかり心を奪われました。歩み寄って声をかけると、娘は「引田部(ひけたべ)の赤猪子(あかいこ)と申します」と、恥じらいながら名乗りました。
天皇は娘にこう告げます。「お前は誰にも嫁がずに待っていよ。いずれ私がお前を宮中に召すであろう」。相手は畏れ多くも大王(おおきみ)その人です。赤猪子にとってその一言は、天にも昇るような重みを持つ約束でした。娘は深く頭を垂れ、その言葉を固く胸に刻んで家路につきます。
それから赤猪子は、来る日も来る日も、天皇からの召しをひたすら待ち続けました。一年が過ぎ、十年が過ぎ、やがて三十年、五十年が過ぎても、宮中からの使いは一向に訪れません。周囲からは縁談も持ちかけられたことでしょう。それでも赤猪子は、大王の言葉を裏切ることなく、独り身のまま静かに歳月を重ねていきました。気づけば頬を染めていた娘は白髪の老女となり、実に八十年もの月日が流れていたのです。
さすがの赤猪子も、このまま誰にも知られず朽ちていくことに耐えられなくなりました。せめてこの長い年月、約束を守り続けたことだけでも伝えたい――そう思い立ち、様々な貢ぎ物を携えて、はるばる宮中へと参上します。しかし当の天皇は、若き日にそのような約束を交わしたことすら、すっかり忘れ去っていました。目の前に進み出た見知らぬ老女を見て、天皇は怪訝そうに「そなたは何処の老婆か。何用があってまいったのか」と尋ねます。
赤猪子は静かに、しかし万感の思いを込めて答えました。かつて三輪川のほとりで交わされた約束のこと、そしてそれをただ信じて待ち続けた八十年の歳月のこと。それを聞いた天皇は大いに驚き、深く心を痛めました。自らのふとした一言が、一人の女性の生涯をまるごと縛りつけていたのだと、このとき初めて思い知ったのです。
今さら娶ることは叶いません。しかし天皇は、その揺るぎない真心に報いようと、彼女の老いをいたわる歌を詠みました。若く美しかった娘が、いつの間にか白髪の老女となってしまったこと、そしてその変化がまさに自分自身の忘却の歳月そのものであったことを、天皇は歌の中でしみじみと噛みしめています。赤猪子もまた、長年胸の奥に秘め続けてきた想いを、静かな歌に託して応えました。三輪川の清らかな流れに寄せて、若かった日々への未練と、それでも約束を守り抜いたことへの誇りとが、入り混じった歌だったと伝えられています。天皇は数々の品を彼女に賜り、赤猪子は涙ながらにそれを受けて、故郷への道をたどっていった――古事記はそう、静かにこの一段を締めくくっています。華やかな結ばれではなく、ただ「言葉を守り続けたこと」そのものが尊いものとして描かれている点に、この物語の独特の余韻があります。
実際には
この赤猪子の物語は、古事記の数ある恋物語の中でも際立って切なく、また読み手によって解釈の分かれるエピソードとして知られています。研究者たちはこれをどのように読み解いてきたのでしょうか。
学説A――「まれびと」と言霊への畏れという読み方
民俗学では、古代の神や貴人が地方の女性のもとを一時的に訪れ、言葉を交わして去っていくという型そのものに、来訪者への信頼と服従を核とした古代的な心性を見出す読み方があります。この読みに立つなら、赤猪子が八十年もの間ひたすら沈黙を守り続けたことは、単なる恋の悲劇というより、貴人の「言(こと)」そのものに絶対的な重みを置いた古代人の言霊(ことだま)観の表れだと読むことができます。一度発せられた言葉は、たとえ発した本人がすっかり忘れてしまっていても、なお生き続け、相手を縛り続ける――そうした言葉への畏れこそが、この物語の底を静かに流れているという見方です。また、神や貴人がしばしば「時を超えて訪れる存在」として描かれることを重視する見方もあり、赤猪子の側から見れば、天皇は八十年という永い時間を隔ててもなお、かつての姿のまま彼女のもとに訪れる、どこか神に近い存在として物語られているとも解釈できます。老いていくのは常に人間の側であり、貴人の一言だけが時を超えて変わらずにそこにあり続ける――そのコントラストこそが、この話の骨格をなしているというわけです。
学説B――誠実と忘却を対比させる文学的造形という読み方
一方、繰り返し指摘されてきたのは、古事記という書物が単なる史実の記録ではなく、優れて「物語」として編まれているという点です。この立場に立つならば、赤猪子の物語は、権力者である天皇の「言葉の重さ」と、その裏側にある「人間としての脆さ・忘れっぽさ」とを対比させることで、雄略天皇という人物像に陰影を与えるために意図的に配置された挿話だと考えられます。前回取り上げた一言主大神との邂逅が天皇の「畏れ」を描いたのに対し、赤猪子の物語は天皇の「過ち」と、それに対する不器用な誠意を描いています。両者を並べて読むことで、絶対的な権力者でありながら、神の前では畏れおののき、人に対しては軽率な約束をしてしまう――そうした雄略という一人の帝王の複雑な人間像が、くっきりと浮かび上がってくるという読み方です。古事記の物語群を、宮廷の記録者が机上で組み立てた文書としてではなく、語り部たちの口から口へと伝えられてきた「語りの文学」として捉える視点も有力で、赤猪子の物語のような細やかな心理描写は、まさにそうした語りの現場で磨き上げられてきたものだと考えられます。
学説C――史書編纂における潤色・取り込みという読み方
これに対して、近代以降の文献批判的な立場は、より慎重な姿勢をとります。この立場は古事記・日本書紀の記事を、後代の政治的・文化的背景を反映した「作られた歴史」として捉え直す方法論を切り開いてきたものであり、記紀に描かれた個々の天皇の人物像や逸話を、そのまま素朴に史実として受け取ることの危うさを繰り返し説いてきました。古事記や日本書紀に記された古代天皇の逸話の多くは、後世の宮廷において編纂・潤色された物語であり、赤猪子の話のような細部まで具体的な恋愛譚を、そのまま五世紀の史実として受け取ることはできないとされます。雄略天皇にまつわる記事には後代の脚色が幾重にも重ねられている可能性が指摘されており、赤猪子の物語もまた、実際に起きた出来事というよりは、当時すでに各地で語られていた民間伝承や歌謡が、後になって雄略天皇という強烈な個性を持つ帝王のもとに結びつけられ、取り込まれていったものである可能性が高いと考えられています。古代日本の伝承と大陸・南方の伝承との共通性が指摘されてきたことも踏まえるなら、こうした「長く待つ女性」の話型自体は、特定の史実というよりも、より広い地域に分布する民間説話の型を継承したものと見ることもできるでしょう。この立場に立てば、赤猪子という固有名詞そのものよりも、「約束・忘却・待つ女性」という三つの要素が組み合わさった話型が先にあり、それが編纂の過程で雄略天皇という実在の天皇の事績として書き込まれていった、と考えるほうが自然だということになります。
世界の神話との比較――待ち続ける者たちの系譜
長い年月、ひたすら一人の相手を待ち続けるというモチーフは、決して日本だけのものではありません。たとえばギリシア神話に登場するペネロペイアは、夫オデュッセウスの帰りを実に二十年にわたって待ち続け、言い寄る求婚者たちをことごとくかわし続けたことで知られています。旧約聖書に目を向ければ、ヤコブが愛するラケルを妻とするために、叔父ラバンのもとで七年、さらにもう七年、合わせて十四年もの間働き続けたという物語もあります。ここにも、長い年月の労苦と忍耐によって、ようやく愛が成就する、あるいは成就しないという構図が繰り返し現れています。
ただし赤猪子の物語がとりわけ興味深いのは、待つ側と待たれる側の関係が、単純な美談として描かれていない点です。ペネロペイアの物語では、苦難の末に夫オデュッセウスが帰還し、夫婦は感動の再会を果たします。ヤコブの物語でも、労苦の末に念願の結婚が成就します。ところが赤猪子の場合、待たれていたはずの天皇自身が約束をきれいさっぱり忘れてしまっているという、より苦く、より人間的な結末が用意されているのです。忠実な妻の美談として完結させるのではなく、権力者の忘却と、それでも裏切られることのなかった一人の女性の誠実さとの対比にこそ、この物語の重心があると言えるでしょう。
さらに視野を広げれば、東南アジアの各地に伝わる死の起源説話にも、似た構造を見出すことができます。そこでは、天から遣わされた使者が人間に大切な言葉を届けるはずが、途中で忘れたり、伝え間違えたりしたために、人間は永遠の命を失い、死すべき存在になってしまったと語られます。伝えるべき言葉が正しく届かなかったこと、あるいは約束が守られなかったことによって、人間の運命そのものが大きく変わってしまう――赤猪子の物語もまた、規模こそ違え、たった一つの言葉の重みと、それが忘れられることの恐ろしさを描いている点で、こうした説話群と遠く響き合っているように思われます。
結局のところ、答えは一つに決まりません。言葉そのものに霊力を見た古代人の心性の反映と見るか、天皇という存在の人間らしさを描き出すための文学的な仕掛けと見るか、あるいは後世の宮廷が各地の民間伝承・歌物語を借りて潤色したものと見るか――赤猪子の物語は、読む者にいくつもの扉を開いたまま、ただ八十年という歳月の重みだけを、静かに残していきます。
おわりに――次回予告
雄略天皇の物語はここでひとつの区切りを迎えますが、古事記の歩みはまだ終わりません。次回は、雄略天皇の跡を継いだ清寧天皇(せいねいてんのう)の時代、宮中の片隅にひっそりと身を隠していた二人の皇子、億計王(おけのみこ)・弘計王(をけのみこ)――のちの仁賢天皇(にんけんてんのう)と顕宗天皇(けんぞうてんのう)――が、思いがけない宴の席で見出されるという、古事記終盤を彩る劇的な物語をたどっていきます。
あわせて読みたい
この記事のより詳しい考証パートは、note連載「古事記、深掘り。」でもお楽しみいただけます。
▶ この回のnote本編はこちら:古事記、深掘り。(note)
参考文献
- 三浦佑之『口語訳 古事記――人代篇』(文春文庫、文藝春秋、2006年12月)
- 西宮一民 校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 古事記』(新潮社、2014年10月)
※学説の紹介は、各分野の研究の見方を筆者がまとめたものです。正確を期していますが、誤りに気づかれた場合はお問い合わせページからお知らせください。
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